2009年07月31日

プロレス

昨日は久しぶりに時間が空いたので道場へ行く。それにしても宮戸さんaka「Uの頭脳」の話はいつも面白いですyo。

それにしてもここ数年のプロレス界は先日急逝された三沢さんだけではなく、橋本も、ゲーリーも、エディも、ベノワもグラジエーターも、ビガロももう他界しちゃってるわけで、悲しみを通り越してもう大変です。早く映画「レスラー」を見に行かなくては。

そういえば大学時代、「スポーツ文化論」だか「スポーツマネジメント講座」だかいう授業があって、自分はその教授の話がどうしても納得できなくてと議論を戦わせたことを思い出した。

wikipediaによれば、スポーツ(英: sport)とは、人間が考案した施設や技術、ルールに則って営まれる、遊戯・競争・肉体鍛錬の要素を含む身体を使った行為、と定義されている。 

この定義に従えばプロレスもスポーツであると解釈するのが自然としか言いようがないのだが、そのときの教授は「プロレスはショーであるからスポーツではない」と断言したのだった。

それは違うだろう。俺が言いたいのは「ノアだけはガチ」的な話ではない。確かにプロレスは1930年ごろを境にキャッチアズキャッチキャンにショーの要素が含まれだし、現在に至る競技である。しかし「ショーでありスポーツ」であるものをそれを理由にアレはスポーツではないと断言してしまうのはいささか乱暴に過ぎると言いたかったのである。フィギュアスケートだってシンクロナイズドスイミングだってショーでありスポーツであるままオリンピック種目なわけだし。

さらに少し前に話題になった大相撲八百長および大麻問題のときに再三強調されていたのは「相撲は神事であり、興行であり、スポーツ」であるという点だったはずだ。そしてそれはムエタイなんかも同様である。

そのときの議論は他の学生からの援護がなく、おいおい勘弁してくれよ的な「空気」が支配的になったためさっさと切り上げることにしたが、未だにその点について納得は出来ていない。

そもそも純粋な勝負論だけをもってスポーツを観戦したり、プレーしたりして楽しいのだろうか。WBC決勝戦でのイチロー選手のサヨナラヒットも、マウンド上の林昌勇選手が敬遠ではなく真っ向勝負を挑んでくれたからこそ起きたドラマであったはずだ。

スポーツに限らずそのような副次的な視座を持って世の中の事象を見ることが出来ること、それをリテラシーというのであろう。そして自分はそのような副次的視座を観客に要求するプロレスというスポーツが大好きです。

posted by ヒビキラー at 15:14 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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